Phantasy Garden

ある集団で、常にナンバーワンであることは難しいことです。運動能力にしろ、テストの成績にしろ、ナンバーワンは下からその地位を脅かされ続けます。時間が過ぎれば体力は衰えますし、脳の活性も少しずつ低下します。ナンバーワンであるというのは、ある時間と空間を前提にしなければならないことは明白ですね。

オンリーワンは逆に、常に一つです。当たり前ですが。全く同じ経歴で同じ経験をしている人などいません。逆に言えば、どんな時間、どんな場所においてもオンリーワンはオンリーワンなのです。それに台頭するものはありません。

競争世界でナンバーワンが憧れというか、目標とされるのは当然のことだと思います。それがよしと認められていることですから。だけど、その競争原理を無関係とする集団では何が大切か。それは、その集団を構成する要素であり、それぞれがオンリーワンです。例えるなら、音楽の巨匠は誰かという質問に一意の答はないでしょう。芸術の世界は、とくにこのオンリーワンが重要だと思うのです。

けど、オンリーワンはナンバーワンより難しい。競争世界には色んなルールがあり、その中でいかにいい成績をあげるかが問題になるので、それに辿りつくまでの理論や方法は万人に分かりやすく説明できます。しかし、オンリーワンになるにはどうすればいいのか。没個性が嘆かれて皆必死で個性を探している現代に、誰がこのオンリーワンになる方法を答えているでしょうか。

勿論、人間一人一人に注目すれば誰もがオンリーワンです。それは皆が普通に納得でいることだと思います。だけど、それは生得的なものであり、今この議論ではそれには意味がありません。もっと分かりやすく言えば文化的範囲でのオンリーワン、『ある分野において独創的な思考・理論・表現をできる人はオンリーワンである』と言い換えられるかもしれません。例えばこれから先、相対性理論が修正されたとしても、アインシュタインの名が相対性理論を扱う上で抹消されることはないでしょう。

アインシュタインなどは極端な例ですが、オンリーワンの凄さは『その人そのもの』を認めていることにあります。学校の成績で一番になっても、凄いことは『学校の成績が一番であること』であり、次に最下位になったら凄くなくなってしまいます。オリンピックなどの成績が一番ならそれは生涯凄い経歴として認められるんじゃないかという反論もあるかと思いますが、オリンピックなど『誰でも気軽に参加できるものではない』という前提が存在しますので、この場合はナンバーワンかつオンリーワンという見方が出来るんじゃないかと思います。認める対象が、『それを為した人』なのか『それを為したこと』なのかの違いなのですが。

話のスケールが大きくなると、ナンバーワンとオンリーワンはだいたい同じです。それを為した人も、為したことも、常人からすれば雲の上の話ですから。このスケールが小さくなると、ナンバーワンとオンリーワンは等価ではありません。学校や職場など、ローカルな話なら分かりやすいと思います。それを前提に考えてみてください。ナンバーワンとオンリーワン、どちらが難しいですか。

オンリーワンは、そうなるための手段や道筋がありません。皆がその人をオンリーワンだと認めることだけが、その人がオンリーワンになる方法です。そのオンリーワンだと認める過程が様々なのです。だから、難しい。自分がオンリーワンになるにはどうすればいいのか、自分には分からないんですから。

方法を答えるとすれば、自分の興味を深めて一生懸命やる、ということくらいですか。それをしていたとしても、オンリーワンになれるかどうかは分かりません。一生認めてもらえないかもしれません。けど、何もしなかったら一生認めてもらえないのは確実です。

今の私は、そんな感じの人生です。

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