Phantasy Garden

はじめに

このテキストは、管理人の覚書としてメモしておくためのものです。よって個人的、偏見的な記述もあるかもしれませんし、厳格な書き方に従っているわけでもありません。あくまで一個人の意見として参考にする程度に留めておくのがベストだと思います。

物語るための覚書

物語を書くためには、色々と考えることがあります。文法や単語の意味などの基本的な事柄から、表現技法や文章全体としての印象を深めるにはどうすればいいのかなど、それこそ考えていったらきりがありません。『良い作品を作るにはどうすればいいのか』という問いの答を出すにはそれ相応の技術に加えて社会的評価がないと無理ですが、ここでは『悪くない作品を作るにはどうすればいいのか』ということを重点に考えてみます。私は文章を書き始めてから今までおよそ8年というところですが、このテキストはその中で私が得た経験を基に『とりあえず無難といえる作品』に仕上げるためのルールを書いたもの、といったところでしょうか。

無論、社会的評価も何もない書き手の一人ですので、あてにならないこともかなりあると思います。プロを目指しているという方なら、このような主旨の本もたくさん市販されているのでそちらのほうを参照していただいたほうが宜しいかと。しかし『とりあえず趣味で物語を書いてみたいけどどうすればいいのか』という方などのヒントになるかもしれませんし、作家一人一人でそれぞれ考え方が異なるので、私の思考方法を明らかにしておいても罰は当たらないかと思っています。このテキストを見ることで、私の書く物語の構造などが見えてくる方もおられるかもしれません。物語を楽しむ際の参考にでもなれば幸いです。

では、実際にその思考方法を記していきます。

流れの把握

まず、物語全体の流れは予め決めておいたほうが無難です。いわゆるプロットの作成ですね。短い話ではこの作業をしなくても物語を書けるとは思いますが、話が長くなればなるほどプロットが役に立ちます。後々になって話の流れを変更する際も、どのように変更すれば矛盾なく変更できるのかが分かりやすくなります。短い話でも執筆期間が長くなれば文章の前後で矛盾が生じる可能性もありますので、とりあえずプロットを決めることは重要だと思います。話に矛盾が生じると、それがどんなに面白く書かれていたとしても興ざめしてしまいます。

ここでいう『話の矛盾』というのは文章の中での矛盾、極端な例を挙げれば、Aさんの名前を知らないBさんが突然会話の中でAさんの名前を喋るなどです。今の例は抽象的で分かりにくいかもしれませんが、私が実際に犯してしまったミスだったりします。文章の別の箇所の辻褄を合わせるために改変したところ、逆にそんなミスを犯してしまったんですが。話の流れを決めずに書いていき、途中で流れを変更した際に前後で矛盾することを書いているというパターンは結構あります。確かに流れを把握していても気づきにくい矛盾はありますが、流れを把握しておかないと流れそのものがおかしくなることも有り得るので、プロットを作ることで防げるミスは防いでおくほうがいいかと。

メモをとる

上の流れの把握と似ていますが、こちらはもっと細かいところを記述するときに用います。場面の状況(時間帯や人物の様子)、そのとき思いついた伏線など、後々になって必要になりそうな情報を片っ端からメモしていきます。このメモは最近になって始めたんですが、プロットだけでは分かりづらいことも容易に見返すことが出来、メモをとる重要性を思い知らされました。一時的なものという気分で書き留めておけば、そこまで丁寧に書かなくてもいいという気軽さもあります。上記のプロット作成と併せて書いておくと、より有効だと思います。なので、プロットを作るときも、思いついたことを書き留めておけるようなスペースをとって作ったほうがいいかもしれませんね。

文体の統一

簡単に言えば『である調』『ですます調』を一貫して使い分けることです。それぞれ与える印象が違うので、その特徴を把握せずに混同して書いていると非常に稚拙に見えてしまいます。が、割と頻繁に見られる混同でもあります。意図的に印象を変えるために使ってあれば違和感はないのですが、脈絡もなく変化してしまうと強烈な違和感を覚えます。普通は文章全体で統一しておいたほうが無難といえるでしょう。

視点の統一

物語には、その物語を語るための視点が存在します。大まかには一人称視点、三人称視点ですね。これが文章の中で変化してしまうと、読み手を混乱させてしまうことになります。以下の文章を見てみてください。

夏の午後。警邏に出ている同僚の帰りを待ちつつ、前田は机に向かって書類を書いていた。備品の扇風機も壊れ、窓から入ってくる風しか涼むものがないというのはかなりストレスの溜まる状況である。麦茶でも入れて少し休憩しようかと思っていると、視界の隅に人影が映った。
「すいません。ちょっと道を尋ねたいんですけど……」
そう言って交番に入ってきたのは、手に大きな旅行鞄を持って首からカメラをぶら下げた、いかにも観光者ですという感じの青年だった。長身だがやや猫背気味でひょろっとした身体つきなので、どうにも頼りない感じのする人だ。
「えぇ、どこまで行かれるんですか?」
「あ、ちょっと待ってください……」
鞄を置いて、中から分厚いファイルを取り出す。ぺらぺらと紙をめくり、やがて手を止め、
「え?と、やなぎかわべ……?の4丁目まで行きたいんですけど」
「あぁ、柳川辺ですね。4丁目なら前の通りをずっと北に進み、突き当りを右に曲がって、安浦神社という神社が見えたらその交差点を左です。その坂を上っていったあたりが4丁目になりますよ」
言いながら、前田は素朴な疑問を覚える。あの辺りはただの住宅地で、観光名所となるようなものは何もないはずだった。
前田のその疑問をよそに、青年はその説明を軽くメモし、ペンをしまいながら頭を下げる。
「ありがとうございます――っと」
青年の手にしていたファイルから、大きな音を立てて中身の書類らしきものが床に散乱した。慌てて拾い始める青年に、多少呆れつつも協力して書類を拾っていく。拾うときにそこに書かれていた内容を意識したわけではないが、流暢に書かれた英文と化学式、数式が入り混じった論文のようなものが目に映った。どうやら大学生の一人旅、といったところか。論文などを持ち歩いていることから推測すると、何かの研究が目的なのかもしれない。
「す、すいません。お手を煩わせてしまって……」
「いえいえ、お気になさらず」
恐縮しながら、何度も頭を下げる大学生。なんだか妙に滑稽な感じで、前田はこの青年に興味が湧いてきていた。拾った書類を渡しがてらに、先ほどの疑問を訊いてみる。
「柳川辺はとくに観光名所もありませんけど、何か研究でもなされているんですか?」
「いえ、まぁそういうわけではないんですけど……」
苦笑しながら、青年はファイルを鞄にしまう。鞄を一方の手に持ちながら、他方の手で頬をかきつつ、
「お恥ずかしいことなんですけど、実は自分の家の場所が分からなくなったんです。なんせ初めての場所でして――お世話様でした」
あはは、と自嘲気味に笑いながら、青年はそそくさと交番を出て行った。
「……自分の家が分からない、なんてなぁ。いったいどんな事情なんだ?」
その青年を見送りつつも、前田は狐につままれたような気持ちになっていた。

即興で短い物語を書いてみましたが、この中で視点が二転三転しているのが分かりますか? 最初は三人称のくだりから始まっていますが、途中で一人称視点に変わって、また三人称に戻って、と繰り返しています。一人称とも三人称ともとれる箇所が幾つかありますけど、明らかに一人称と分かるところ、三人称と分かるところがあるので視点が定まっていない物語になってしまっています。読み手からすれば、今は誰の視点になっているのかという情報は物語を楽しむ上での重要なキーであり、これが脈絡なく変わるのは出来のいい物語とはいえないと思います。段落程度のまとまりで変化するならともかく、上記のように会話文の前後で変化するのは問題があるといえるでしょう。

上記の物語の視点を統一するのは簡単です。『前田』という人名を『私』という一人称に変えれば、無理のない一人称視点の物語になります。地の文が一人称視点のときに、一人称の人物の名前を書くことはないと言ってもいいでしょう。一人称と三人称の混同は分かりにくいですが、やはり読み進めると違和感を生じるので修正するべきです。この物語の出来はともかくとして、整合性だけで見るなら一人称に統一するのが無難ですね。しかしネットにある物語の中には、ある一人称の視点から突然別の一人称視点に変わっているものがあったりします。これは一人称と三人称の混同以上に違和感を覚えるので読むとすぐに気づくのですが、それでもネットにはそういった物語が幾つもあります。一人称同士の混同、とくに会話文の前後で変化しているような混同はかなり稚拙な印象を受けますので、視点を意識することも大切なことです。

文のリズム感

文にはリズム感があると、非常に読みやすくなります。俳句や短歌を思い返してもらえれば、リズム感の心地良さが分かるかと。ただ、物語にはそのようなリズムを得るための決まりきった形式はないので、別の方法でリズムを得る必要があります。次の文章を見てください。

だがしかし良治はその理由が納得いかなかったようで私に鋭い眼差しを向けて不満を露にしている。それでも私にはこの計画を実行し成功させなければならない義務があるのだからここは彼に我慢してもらうしかない。

一文一文が非常に冗長で、読みにくさが際立っています。リズムを得るために、適当な読点を打ってみましょう。

だがしかし、良治はその理由が納得いかなかったようで、私に鋭い眼差しを向けて不満を露にしている。それでも私にはこの計画を実行し成功させなければならない義務があるのだから、ここは彼に我慢してもらうしかない。

読点を打ったことで、先ほどよりは読みやすくなっています。間隔があいたことで視覚的なリズムを得ることが出来ました。が、これを少し声にしてみると、この文章で強調したい部分がちょっと曖昧です。次のように手を加えてみたらどうでしょうか。

だがしかし、良治はその理由が納得いかなかったようだ。彼は私に鋭い眼差しを向けて不満を露にしていたが、それでも私にはこの計画を実行し成功させなければならない義務がある。だから、ここは彼に我慢してもらうしかない。

元々の文章を三つに分け、強く表現する部分を強めて文そのもののリズムを得ています。この場合は『?であるが、それでも?』という表現が『?しなければならない』という強制の表現をさらに強調しています。強制的な意味には断定文のほうがいいので、一度ここで句点を打ったほうがいいと思います。『だから?』以降、元々の文章より傲慢さが薄れて、苦渋の決断というニュアンスが出てきています。前半から文を繋いだままだと冗長なので、適度なところで句点を打って解消します。

前後の文脈でどちらの表現がいいのかは変わります。傲慢さが必要なときは、二番目の文章のほうがそのニュアンスを強く含んでいるので、そちらのほうが良いという場合もあるでしょう。この辺りは物語の主旨や流れ、書き手の好みにも関わってきますが、とりあえず私は一番最後の文章が視覚的にも音読でもリズムが取れていると思っています。二番目の文章は、この分量で二文というのが少し長すぎる気がするので。このように、句読点を使う方法はリズムを得るための基本的な手法ですが、どこで句読点を使うかによってニュアンスが変わることもあります。これは物語だけでなく、文章というものを読みやすくするための方法です。他にも韻を踏んでみるなど、物語に独特のリズム感を得る方法があります。

さらに補足すると、最後の文章の二文目に『彼は』という文節を補っています。この文節がなくても意味は通じますが、元々一文であったものを二文にしたわけですし、ここでは主語を明確にしておいたほうがいいと判断して加えたものです。また、主語を補う際には『良治』という固有名を繰り返すよりは代名詞を使ったほうが読みやすくなります。これは日本語に限らず、英語でも好まれる表現ですね。何度も同じ主語が出てくると、非常にリズムが悪くなります。物語を書いているときには気づきにくいですが、少し声に出してみると分かりやすいです。そのためにも同じ言い回しばかりを使うのではなく、別の言葉で表現するために語彙を増やす必要があります。

読み手が重要

最初は『文章構成として破綻しないようにする』ための覚書です。これらを守るだけでもとりあえず一貫性のある物語は出来ますし、逆に言えばこれらが守られていないと物語が破綻してしまっている可能性が大きいです。メモ書きやプロット作成をしないと破綻してしまうとは言いませんが、その可能性は高まると思います。また、単に物語を構成するだけではなく物語を印象付けるための覚書も書いています。

これらには全て『読み手を意識している』という共通点があります。文章が破綻していようと読みにくかろうと、誰も読まないものであれば問題はありません。それこそメモ書きなどは、書いた本人以外は書かれている意味が分からなくてもいいんです。適当に単語が並べられているだけでも、本人が思い出すためのきっかけになればそのメモは意味を成します。しかし、物語は書き手と読み手の二者が存在してこそ意味があります。無論、書き手も読み手になりえますが、書き手にしか物語を理解できない独り善がりな物語はいけません。暗黙的に了解されている条件や常識はどの程度なのか、それは作品によって変わります。世界構成から歴史まで全て作者が構想するハイファンタジーでは、暗黙の了解が通じない箇所も多々存在します。現実世界をモチーフにしたローファンタジーでも、作品固有の常識と現実世界の常識とを区別しなければなりません。二次創作では、原作が存在するので省略できる記述は多くなりますが、作品のテーマによってはそれをなぞらえる必要もあるでしょう。書き手はこの暗黙の了解の範囲を誤解しないようにしないと、それ以外の人には何がなんだか分からない物語が出来上がってしまいます。

文章を推敲するには、やはり色んな人に見てもらって評価を貰うのが一番だと思います。いくら読み手を意識していても、やはり書き手は書き手ですので、純粋に客観的な視点を持つことができません。『文のリズム感』に書いたような例文でも、もしかしたら最後の文の方が傲慢さのニュアンスが出ていると感じ取る人がいるかもしれません。リズムがいいのは二番目だという人もいるかもしれません。受け取り方は人それぞれで当然なのですが、意図していなかった受け取り方をされたときはその原因を見つめなおしてみるのもいいかと。推敲を重ねれば、相応の文章力が身についていくと思います。

終わりに

とりあえず、文章のセンスや構成力、物語の秀逸性といった評価のプラス要素ではなく、これを失敗すると物語が興ざめになるぞというマイナス要素を取り上げて書いてみました。今のところ、私が主に注意して書いているのは上記の通りですが、これから気づいた要素があれば書き足していきたいと思います。誤字脱字や単語の意味など、辞書を引けば分かることは省いていますが、これらも重要な要素ではあります。結局どの要素からも『読み手が重要』という結論が出てくるのは当然なのですが、少しでも『じゃあ何をすればいいのか』という疑問に答えられましたら幸いです。また、作品を鑑賞するときもこういったところに気をつけて見ていくと、なかなか面白い発見が出来たりします。あとは、自分がこれらを忘れて破綻した物語を書かないための戒めということで、このテキストを記します。

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