Phantasy Garden

嫉妬というと、ねちねちした暗いイメージが強いと思うのですがどうか。しかし嫉妬は人間の正常な心の働きで、実は競争心と密接な関係があるものなんです。多少なりとも嫉妬というものは皆が皆抱えているものなんですよ。

嫉妬心が強いかどうか、というのは主にその人の性格が関わっています。嫉妬心を抱きやすい人というのは、他人からどう見られているかとか自分の評価はどうなのかという他人を意識しやすい人に多いんです。嫉妬はもともと平等な関係、もしくは自分より下であると思っていた人物が自分より上に立った場合などに発生するものですので、他人を意識する人はこのような立場の動きに敏感なんですね。逆に他人は関係ないというゴーイングマイウェイな人は嫉妬をあまり感じないようです。

さらに嫉妬は恋愛感情とも深い関係にあります。嫁姑の関係などに代表されるように、恋愛というものには嫉妬が必ずといっていいほど関わっています。むしろ嫉妬のない恋愛などは存在しないといってもおかしくはありません。互いに相手を求め合うという感情の中には、相手に優位を植え付けたいという無意識的な感情も含みます。恋人にする自分の自慢話などもその一つの表れですね。そのあたりの心の動きを説明すると長いので省きますが、恋愛は、自分にないものを持つ存在に憧れるという感情、それを欲する感情の二つが内在します。これが相手を欲する原動力となりますが、中には恋愛感情をあまり持たないという人もいます。このような人は自分だけで精神を充足させることができ、他人を必要としないからです。他人を必要としないから恋愛感情なんて起こりようもないのです。そのような人は、だいたいにおいて『変わった人』として扱われることが多いようです。相手を求めるという感情自体は普通なものなので、それを必要としない人は奇異の視線で見られます。しかしその人らは他人に対して、よく言えば孤高、悪く言えば無頓着なのでその視線さえも気にならないのです。

ここで例を挙げていえば、俺の高校以下の友人ではそのような恋愛感情を吐露する人はあまりいません。大学の部活などでは頻繁に耳にするのですが、これはどういうことなのか。単純にそれを隠していると解釈してもいいのですが、個人的分析からするとそれというより、むしろ恋愛に興味がないようにみえます。つまり、上記の『変わった人』にあてはまるのではないかと。何故なら彼らは虚構の世界を好む、いわゆる『ヲタク』であり、あくまで人対人の関係においてのみ『相手』という存在を定義でき、人以外は全て『物』として対象を見る限り、確かに彼らは自分自身とそれらの周囲の物だけで精神を充足させることが出来るのです。この中に、他人が介在する余地はありません。また、そのような感情の持ち方は禁忌とされるものではないにしろ、世間的には忌み嫌われる傾向にあるといえます。だから彼らは、他人を求めようとする感情と無意識的に折り合わないと感じ取るようです。しかし逆に、同じように他人を必要としないものとはそのことで感情を共有することが出来ます。これは『類は友を呼ぶ』の諺の原理で、似た嗜好をもつもの同士が惹かれあう根本です。つまり、彼らは多少の偶然はあるにしろ今のような友人関係を成立させたことはある意味で当然ともいえる結論が導き出され、『変わった人』のレッテルが貼られるということなのです。

…………統計学的に、漏れの友人がそういう奴らの比重が大きいとすると漏れも立派にその『類友』の一部になってしまうんじゃないだろーかとか、彼らの一部には恋愛感情がないのではなくそれが人に対してではなくて電子ビット配列という物に対して発生してしまったという奇特な方がいるだろーとか、自虐的な結論がたっぷりでてくるのでここらでヤメ。

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