Phantasy Garden

「えーと……お久しぶりです、皆様。約半年振りの登場となりました、ユーリィです」
「シェラです。管理人は――逃亡しました」
「九州に戻って、なにやら憂鬱なんだとか」
「そりゃまぁ……自由気ままなところから規則ありの場所に戻れば憂鬱にもなるでしょ。ちなみに大学の単位もいくつか落としたそうよ」
「無計画に授業を詰め込んだせい?」
「ん~……勉強不足なんじゃないの?」
「それも否定できないところではあると思いますけどねぇ…………」
「ほらほら、そんな辛気臭いことばかり言ってると登場した意味がなくなっちゃうでしょうが。今日のメインテーマは勿論、日本一蹴旅行!」
「そのボケは既出です」
「………………なんか口調が変わったような気がするんだけど。ユーリィ」
「それはシェラさんとはあまり会話をしたことが無いので失礼が無いように、と」
「……まぁいいけど。それでは早速云ってみましょうか」
「でもその旅行の記録が無いですよ」
「だいじょぶだいじょぶ。こんなこともあろーかと、管理人にエー○ライ○を取り付けておいたから」
「…………いろんな意味でスレスレの発言ですよ……」
「それはさておき。では、北海道旅行一人旅~管理人の旅情篇~をお送りいたします」
「なんで沖縄は無いんですか?」
「なんでも『沖縄関係は部活動の一環だから』という管理人の私事により公開しないんだとか」
「本音は面倒だから、という匂いがぷんぷんしますけどねぇ」
「建前というのはそんなもんでしょ。それじゃ、記憶から書き出してみますか」

9月1日 出発の日。

朝も早い、05:59発の始発列車で北海道へと向けて旅立った。無論のこと金が無いので18切符を駆使しての旅である。今日は秋田まで行くのが目標だ。
JR東海道線、JR北陸線を乗り継いで北陸方面から向かう。列車の本数は少ないが、割と接続がよかったのでいけると思っていた。
途中、金沢駅で1時間待ち。昼食時だったので改札を出て飯を食うことにする。
なにか美味そうなものはないかと思っていたが、生憎金沢のことは知っていたせいで新鮮味のあるものが無かった。笹寿司は美味いのだが、高い。懐に余裕が無いのでパンで済ませる。
すれ違う人が奇妙な視線で俺を見る。そりゃそうだ。60Lも入るバックパックに、寝袋とテントを背負っているのだからいろんな人物がいる駅でも少し異質だろう。
だけど「見ろよアレ。これから登山でもいくつもりか? はは」とぬかした野郎を見たときはさすがにむかついた。最後に嘲笑しなければ血を見なくても済んだものを。
と、視線だけ睨めつけてそう思っているだけだったが。
あと金沢駅に言いたいことがある。トイレのティッシュペーパーをいちいち買わせるのはやめろ。50円も払わないと、トイレ使用禁止ってかコラ。
飯を食った後、富山行きの電車に乗る。乗り継いで直江津。新津。新発田。村上。酒田。秋田と、到着した頃にはすでに23時過ぎ。
地名を挙げていっただけで分かる人はよほど地理に長けているか電車マニアかのどちらかであろうと思いつつも列挙してしまうのは何故なんだろーかと哲学的に問を出しても答えは見つかることは無いだろう。
ローソンでおにぎりを買って夕食にする。バス停の待合室で寝袋をひっかぶって就寝。

「……………………………………」
「……………………………………」
「なんとゆーか…………エンターテイメント性に欠ける文章…………」
「記憶をそのまま書き出してみたけど…………ここまでとはね……」
「……もしかして、これは私たちに対する嫌がらせ? このあと6日分見なくちゃならないのかな…………」
「それは…………嫌かも…………」
「でも続けないと、北海道で何があったのかが分からなくなっちゃうし……」
「そもそも知りたい人がどれだけいるのか…………って、まぁ管理人の友人の中には面白半分で見ている人もいると思うんだけど」
「まぁ、もうちょっと様子を見てみましょ」
「ちょっとで済んで欲しいけど…………」

9月2日 北海道上陸。

まだ夜も明けきっていない早朝。05:40発の始発列車で秋田を発つ。正直、眠くてだるくてしょうがなかったが。
9時頃になって弘前に到着した。青森行きの電車1時間待ちのため、朝食をとることにする。駅前のデパートなんて安易な気もするが、やっているのがここしかないのでしょうがない。
だいたいデパートの上のほうにレストラン街があるんだよな、とさすがに8Fまで10kgの荷物を背負って登るのは諦め、素直にエレベーターを使う。
予想通り、レストラン街には誰もいない。当然といえば当然だけど。まぁ、おかげで注文が通るのは最速なので助かる。
朝食後に時間があったので本屋で幾つか本を購入。電車の中の暇潰しには丁度いい。どうせ今日も釧路まで到達することは出来ないんだし。
弘前を出て青森、蟹田、木古内、函館と乗り換えていく。函館でちょうど昼時。またもや電車待ちで食事しに出てみたのだが、そこで醤油海胆ラーメンというものを食べてみた。
…………あったかい海胆とはいかがなものか、と小一時間(略)
函館を出たら長万部、東室蘭、苫小牧、岩見沢、滝川となって終電。まだ目的地にさえ到達していない。
小ネタはあるにしても基本的に電車での移動ばかりだから退屈だ。だが、どこでも高校生という輩には電車の中で人の迷惑顧みず騒ぎまくるアフォがいることは再認識した。
頼むから寝かせろ。いやマジで。なんでこんなメに……と運命を呪ってもとまりゃしない馬鹿騒ぎ。
帰ったとき、このあたりをどうコラムにすればいいものやら。

「や、ほんとにこのままでは…………」
「読者も飽きが来ようというもの…………」
「まだ目的地に到達さえしていないんだから、しょうがないといえばそうなんですけど」
「だからといって面白くなくなっちゃおしまいよ。そもそもがどーいう目的の旅なんだか…………」
「計画によると、旅の目的は『独りになること』だそーです」
「……それはまた随分とアウトローな目的で。九州の家にいたら独りじゃないの?」
「さぁ…………。管理人なりの考え方があるんでしょう」
「ほんとにあるんだかどーだか」

9月3日 摩周へ。

3日連続早起き決定。今日も元気に始発列車で向かう。発車時刻は05:45だが…………。
おかしい。始発だというのに2分前になっても来ない。始発でこれはどーいうことだ?
と、車掌らしき人に『客車のほうで緊急ブレーキが降りたままになっていてすぐに解除できない。いつまでかかるかも分からない』とかいわれた。そんなバカな。
いつまでかかるかもわからないというのは非常に困る。ついでに早朝の気温はだいたい13度くらい。半袖だと寒いんですが。
改札のほうに戻って暖を取っていると、『発車準備が出来た』らしい。ものの5分。戻り損な気もしたが、動かないよりはマシだ。
乗り込むとすぐに寝てしまった。終着駅まで乗ることになるが、到着が4時間後。夜中遅くまで電車に乗っていたのに朝早くに起きなきゃならんから眠さもひとしお。
ほとんど意識を失うように寝ていた。10時を過ぎたころ、帯広に到着した。間をおかず釧路行きに乗る。再び寝る。
13時近く。釧路駅に到着。網走行きが最後の乗り継ぎだが、その前に昼食をとることにする。
釧路駅地下にあるショッピングモールにて。豚丼なるものを食す。これがなかなか美味かった。実は帯広あたりの名物だったらしいのだが、そのときは知らなかったり。豚肉の軟らかさもさることながらタレがご飯によく合う――と、真面目に批評してもしょうがない気がするので止めておこう。
網走行きの電車で摩周――川湯温泉駅を目指す。その駅から川湯温泉街へとバスが運行しているらしい。それに乗っていけば、割と楽に観光できるはずだった。
川湯温泉駅に到着したのは15:40。まだ日も高く、今日一日でもそれなりに動けそうだ。ようやく目的地に到着したのだから、それなりにじっくり見回ってみたいものだ。
と、駅前にバスが到着していた。そこには大きく『川湯温泉街行き』とかかれていた。
そのとき、何故俺はそうしたのか分からない。単なる好奇心、といえばそれが一番近いだろう。ほんの気まぐれ、とも言い換えることが出来たはずだ。
大荷物を背負ったまま、俺はバスを思いっきり無視してその道を行くことにしていた。標識に『→2km 硫黄山』とかかれていたのも関係あるだろうか。バスは硫黄山に止まらないということを知ってしまっていた。
駅からも硫黄山というのは見えていた。というか硫黄の匂いがはっきりと感じ取れる。臭ぇ。どぶのあの臭いだ。
その臭いに騙されたのか狂ったのかどうか知らないが、あまつさえこの摩周、阿寒、屈斜路をバスで回れる『阿寒パノラマコース』バスでさえ見限っていた。
どうしてだろうか。やはりあの時は何か歯車が狂っていたのかもしれない。でもそれが貴重な経験になったというのは否定しがたい事実だった。
とりあえず駅から伸びる道を行き、国道391号線から道々52号線(通称・屈斜路摩周湖畔線、屈斜路湖周辺はクッシー街道)に入った。
林道、という名がふさわしい林の中を突き抜ける道。まぁその道を歩いていくものは皆無だったけど。俺以外。
とにかく、しばらくして硫黄山へと着いた。一段と濃い硫黄の臭いが鼻につく。土産屋で名産らしき牛乳ソフトクリームを食べ、使い捨てカメラを購入して、また湖畔線に戻った。
気持ちのいいくらいまっすぐに伸びた道だった。少なくとも視力1.5(コンタクトだけど)程度では、道の見えなくなるところがボケて見える。地平線まで、とは行かないが1時間前から歩きつづけた道のりを、途切れることなく見返すことが出来るというのはなかなか爽快だった。
緩やかなカーブを曲がると、突然緑が切れた。林の奥は街というくらい唐突に街があった。川湯温泉街。ガソリンスタンドに『この先20キロはスタンドがありません』という表示がなされていたのが何故か笑えた。
市街に大して興味をひくものはなかった。『あし湯』という足だけ浸かる温泉があったが、これは川湯温泉駅にもあったしここでは遠慮しておく。駅より硫黄臭いのが気になるからだ。
街を抜けるとすぐにまた林道となった。湖畔線に戻った……のではなく、街が途切れただけだ。湖畔線の途中に街がある。それだけだ。
人もいない。車も10分に一台くらい。日も少しずつ傾きだして涼やかになってきた今の時間帯、虫の音もあまり聞こえない。その分自分の声はよく聞こえた。誰もいないと分かっていたから、大声で叫んでみた。なんとなくすっきりした。
熊が出る、という注意書きがあった。湖のほとりでのキャンプは止めろ、と丁寧な言葉で書かれていた。当然それは無視することになるだろうが。
川湯温泉街を抜けて、仁伏温泉に到着。といっても街も何も無く、旅館らしき建物が三つほどあっただけ。
湖が見渡せそうな場所が見えたので、なんとなくそちらへと足を向けてみた。建物の横を通り過ぎ、湖のほとりに立ってみた。日が傾き、湖面を朱色に染め上げていくところだった。
しばらくその様子を見ていたが、今日は砂湯温泉までいきたかったので仁伏温泉をあとにした。次第に林の奥の闇が濃くなってきた気がする。
一時間くらいは歩いたと思う。砂湯温泉野営施設設置場へと着いた。時間は18:40ごろ。すっかり夕闇へと変貌していた辺りの景色を、腰にぶら下げたランタンから漏れる光がかすかに色をつける。
まだ19時にもなっていないのに、野営施設設置場の受付はすでにクローズしていた。いくら闇が濃くなったとはいえ、早すぎるのではないだろうか?
仕方ないので自販機でコーラを購入し、適当な場所でテントを設営してみる。今回の旅でははじめて使うテント。割と簡単に設営できるものだ。
荷物をテントの中に放り込み、寝袋を広げて時刻表とにらめっこ。実はこのままでは家に帰れないことに気づいていた。すでにここに到着するまでに青春18切符を三日分使用している。
帰りのほうが電車のつなぎが悪くなるというのに、あと二日分しか残っていない。いい加減に立てた計画のツケというか、まぁなんとなくそうなるだろうなとは思っていたが。
どうやっても東室蘭まで18切符なしで行く必要がある。しかもそうなると明日の正午までに釧路駅に戻ることが前提だ。まだ始まったばかりといえるのに、それはイヤだった。
乗車賃は4000円強。それは得策ではない。なのでフェリーを使うことにした。フェリーならば、明後日の16時ごろまでに苫小牧までだから、明日丸一日フリーになる。3000円程度のプラスで一日が手に入るなら、安いものだった。
そう納得すると、テントの天井部にひっかけていたランタンの明かりを消し、床についた。時間は20時を回ったところだった。

「3日は比較的長かったですね。やっぱり目的地に到達して、ようやく『観光』が始まったことが要因かなぁ」
「あの距離を徒歩で歩いて回るのが『観光』だとも言い難いんだけど、それ以外にいいようが無いし……」
「どーいうわけか、『旅行』じゃなくて『旅』になっちゃいましたから」
「気楽な『旅行』と過酷な『旅』のどちらかといわれたら、迷わず『旅』だろーね」
「最終的にはどのくらい歩いたんでしょうか?」
「ここを見てる人の半分は知っていると思うけど…………それは後で管理人自身が確認するはず」
「北海道は大きいから、地図の縮尺も違うことに気が付かなかったんですね」
「母親がそういっていたはずなのに…………ものの見事に忘れていたようだ」

9月4日 屈斜路摩周湖畔線。

朝。それまでが夜明けの時間帯という早朝に起きていたせいか、疲労が溜まっていたようだ。徒歩で砂湯まで来たのも無関係ではないだろう。その日の朝はゆっくりしていた。時間は……8時半。
というのも明け方に雨が降っていたからだ。テントを叩く音はまさしくそれ以外の何者でもない。ただ豪雨といえるほど強くも無く、小雨といえるほど弱くも無かった。
不意に外から声をかけられた。
「すいません。料金を徴収しに来ました」
そうだ。昨夜、寝る前にトイレに向かったとき、途中で『管理人不在時は、後で管理人が料金を徴収しに伺います』と書かれた看板を見た記憶があった。
寝ぼけた眼をこすりながら、テントから顔を出す。起こしてすみませんと管理人は侘びながら、料金を徴収して去っていった。400円。
まだ頭がぼんやりとしていたが、これ以上眠ると逆に疲れそうだった。12時間も眠れば十分だろう。テントの中で着替えを済ませ、放り出していた時刻表などを片付け、荷物を出す。中に何も無いことを確認してからテントを倒し、片付ける。
朝食はその野営場の中にある売店でとることにした。砂湯の温泉(湖のほとりで砂を掘れば、勝手に湧き出してくる)や、中島を見に来た観光客だろう。9時も回れば人も増える。
ちょっとだけ部外者のような疎外感を感じながら、レストランに入った。さすがにこの時間帯に利用しているほかの客はいなかった。特産じゃがいものコロッケ定食を頼む。
今日は風が強い。湖も割と波立っている。午前中は天気は崩れない、とか野営場の管理人は言っていたが果てさて本当かどうか。
コロッケ定食をついばんでいると、窓の外でボートに乗ろうとしている若者二人組が見えた。いわゆる足漕ぎボートなので、その速度は推して知るべし。こんな風の強い中……と思っていたら案の定、岸まで押し戻されてきた。
申し訳ないが一部始終を見ていると笑ってしまう。必死で足を動かす様がなんだか滑稽だった。観光だろうし乗れる機会だから乗ろうという気持ちもわかるが、もうちょっと天候を選んでもいいのに。
飛び回るハエを撃退しながら(キャンプなんて上品なものではない。食堂でさえこんなありさま)コロッケ定食を食べ終わり、代金を支払って外に出た。人も増える一方だ。こう人が多いと俺の荷物が注目を浴びるのが必至なので、さっさと立ち去る。そのときの時間は10時半過ぎだったと思う。
湖畔線を歩いていると、唐突に雨に降られた。それまで晴れていた空が一変し、あっという間に叩きつけるような雨になった。たまらず木陰で雨宿りすることにした。
雨具はたいしたものが無いので強行することもできない。雲の様子からすれば通り雨のようだが、多少の足止めは覚悟しなければならなくなった。
だが割と雨宿りは悪くなかった。歩道の柵に腰掛けて雨宿りしていたのだが、不思議と退屈しなかった。往来する車が雨に巻かれていよいよヤバイという顔をしている人たちが滑稽に見えた。そのうち、笑い出していた。
15分くらい経っただろうか、雨脚は弱まり、雲の隙間がぽつぽつと見えるようになってきた。まだ雨宿りする場所には事欠かなさそうであったし、さすがにこれ以上休憩するわけにも行かなかったので荷物を担いで再び歩き出した。
昼過ぎ。屈斜路摩周湖畔線が国道243号線と合同になった。いわゆるクッシー街道は終わりだ。今度は国道243号線に沿って進む。
途中、道路工事があった。歩いていると自然と顔を付き合わせることになるので軽く会釈する。挨拶は旅でも基本だ。とりあえず、話のネタが無かったので摩周湖への道はこれで合っているかだけ尋ねた。
「合っているよ、ただちょっと遠いけどね」苦笑いしながら、答えてくれた。礼を述べて、また歩き出した。
またも道路工事があった。軽く会釈すると、唐突に質問された。
「ここまで歩いてきたのかい?」苦笑いしながら肯定する。
「どこから来たの? 東京の人?」このあたりは東京から来る人が多いんだろうか、とくだらない疑問が浮かんだ。
九州から、ですよ。と答えると、その人はかなり驚いた表情を見せ、こっちをまじまじと見つめた後「頑張ってね」と付け加えた。礼を述べて、また歩き出した。
『弟子屈市街 4km』と書かれた標識を横目に、いくつも牧場を通り過ぎた。そろそろ足の裏が痛くなりはじめていた。足の裏はまめだらけだった。
16時ごろ、弟子屈市街の末端にたどり着いた。遅めの昼食というか早めの夕食というか、サケとイクラの二色丼を味わう。
243号線も終わりだ。標識を見れば道々52号線。つまり、また屈斜路摩周湖畔線に戻るわけだ。コンビニで二色丼で足りなかった腹を満たすおにぎりとお茶、それと夕食のパンを買った。
実はこの湖畔線に入ったとき、すでに日は傾きだしていた。『摩周湖 9km』とかかれていたので19時前後までかかることは分かりきっていた。昨日の経験からその時間帯は既に闇の世界だということも知っていた。そして、摩周湖までほとんど明かりも何も無い山道になるということも。
それでも足は歩き始めていた。ユースホステルやら旅館やらが目の端についたが、全て振り払っていった。
長い、長い直線を歩いていた。その直線の終わりに来る頃、夜の帳が落ち始めていた。ちょうど、林道に入った。
はっきり言うと、怖い。時折通る車の明かりと音以外、何も無い。遥か彼方に釧路の街の明かりが見えるだけ。あとは自分の腰につけたランタンだけだった。
そのランタンもいつまで持つか分からない。予備の電池を購入しなかったのは迂闊だった。だからなるべく電池を消耗しないように、常夜灯モードで歩いていた。
林道に入る前からなだらかな登り道だったが、林道に入ってからはかなり勾配がましてきている。標高800m強まで達するのだから、それも仕方ないかもしれない。でもこんな道の真中で寝たくは無かった。せめて摩周湖の展望台まではたどり着きたかった。
足を止めれば完全な無音で。気まぐれに吹く風が木の葉を揺らすと何かの叫びのようで。半径1km以内に誰もいないといえるような空間の中で。
ひたすら歩いていた。登っていた。ふと振り向いてランタンを向け、『何か』の存在に怯え、また歩き出した。背後には何も見えない。林の奥には闇が落ちているだけ。何も無い。
たまに通り過ぎる車は、乗っている人の顔がよく見えた。誰もがこちらを見る。あるものは珍妙な視線を。あるものは奇妙な視線を。
そりゃそうだろう。まさかこの時間帯にこの道を行くようなバカ野郎が存在するなんて、思ってもいなかっただろう。もしかしたら、俺の存在をうまく確認できなかった奴は『見えないはずのものが見えてしまった』などと思い込んであらぬ恐怖に怯えだすかもしれないが。
街灯が一つも無かったのでただひたすら暗闇の中を突き進んだ。冬の街灯がない高校の帰り道を思い出したが、それとは比較にならない。絶対にこっちのほうが怖い。
だけど、足が震えたりすることは無かった。疲労でそんな余裕が無かっただけかもしれないが、なんとなく怖いなというだけで別段焦燥や恐怖(怖いとは違う)は無かった。『慣れ』かもしれない。
やがて林道は完全に山道へと変わっていた。木の頂点が道の左右で高さが完全に違い、遥か彼方の帯広から弟子屈市街の明かりがよく見えた。自分が一日かけてきた道のりもなんとなく見えた気がした。
19時半過ぎ。予定よりわずかに遅れたが、摩周湖第一展望所に到着した。が、俺はそこで一つのミスに気づいた。
売店が完全に閉まっており、辺りには自販機の類さえ見えない。これは予想外だった。売店が閉まるのは予測していたが、自販機が無いというのは痛い。なぜならそのとき、飲料の一切を持ち合わせていなかった。購入していたお茶などはとうに飲みきってしまっていた。
多少呆気にとられながらも、誰もいない展望所のベンチに腰をかけてパンを貪る。飲み物が無いので少し躊躇したが、腹が減っていたことも事実だった。水飲み場も探してみたがそんなものはなく、仕方ないのでテントを張って寝ることにした。やることがないからだ。
寝る前に少し摩周湖を眺めていたが、黒く光る湖面は何も見えない。風が強く、雲が疾っていた。諦めて強風でテントが吹き飛ばされそうになりながら寝袋にもぐりこんだ。
弟子屈市街を出たとき、電光掲示板が気温13度と表示していたからそのときの気温が10度以下というのは確実だろう。もしかしたら5度未満だったかもしれない。9月の頭でコレか……と北海道の初秋と標高800mを見くびっていたことを反省した。

「なんだか小説語りが混じってますね。3日のときよりもさらに文が長くなってますし」
「ちょうどこの摩周湖登山が佳境ってとこだったからねぇ。あの闇はそれほど印象深かったらしい」
「ホントに月と星の明かりと無音の世界っていったくらいだから」
「後日談だけど、北海道から戻って近畿の友人と語っていたら夜になっちゃったらしくて終電逃して高校近くから歩いて帰ったみたい。そのときの帰り道が全然怖くも何とも無くなっていたといっていたよ」
「街中だったら街灯が無い、とはいっても周囲にないというだけで明かりは見えるでしょうしね」
「この摩周湖辺りでは寒さと渇きと飢えも関係していたと思うんだけどな。気温が一桁の中で、ウィンドブレーカーと半袖Tシャツ一枚だけというクレイジーな服装でいたから」
「でも寒さはわりと懲りてないみたいです。それより飢えや渇きのほうがきつかったらしく、今度から魔法瓶は持参するべきと言ってましたから」
「…………旅に水と食料は必須だと思う」
「どこかで買い足していけばいい、とか思っていたんでしょうね」
「それが甘い根性だと思うんだけどナァ」

9月5日 出会い、釧路へ。

朝の四時半。人のざわめく声で目が覚めた。なにやら外がやかましい。といっても、俺のテントの周囲にはいないようだが。
おそらく日の出を見に来た若い連中だろう。しばらく息を潜めていたら、走り去っていく車のエンジン音が聞こえた。
着替えを済ませて荷物をまとめ、テントを片付けると俺も早速朝日に映える摩周湖を見に向かった。摩周湖はくっきり見えていたが(この辺りは霧が多い)生憎摩周岳は雲で隠れてしまっていた。
しばらく様子をうかがっていたが、6時を過ぎても雲が晴れないので諦めて第一展望所を去ることにした。次の第三展望所があるし、昼までになんとか川湯温泉駅まで戻りたい。そう――もう湖畔線の4分の3は終わっていた。
それから山道を1時間半ほど。第三展望所についた頃にはだいぶ日も昇っており、人も増えていた。だが第三展望所は売店も何も無く、第一展望所と比べると小さいので比較的人は少ないといえるかもしれない。
雲も摩周岳山頂が後少しで晴れるというようなくらいまでになっていた。なんだかここで俺は摩周岳の完璧な状態を目に焼き付けなければならないというような使命感のようなものを感じて、ひたすら展望所の一角から摩周岳を眺めていた。
一時間ほど経過した頃。摩周岳の雲が晴れた。いい具合に日も出ていた。湖面が輝く姿は、確かに神秘の湖といわれるくらいの神々しさがあった。
しばらくそれをぼーっと眺めていたのだが、さすがに9時も近くなると人が増えてきたのでそこを去ることにした。屈斜路湖はわりとあっさり去ったが、摩周湖はなんだか名残惜しさを感じた。
第三展望所からは川湯温泉駅まで下り坂だ。自転車なら爽快に進めただろうが……。徒歩だと下り坂のほうがつらい。またもや道路工事と出くわしたが、話し掛けるような気力と相手方のヒマがなさそうだったので素通りした。
第一展望所へと向かう道と比較すると、こっちはかなりカーブが多くてきつい。360度に近いヘアピンカーブが連なるような峠だった。
半分ほど降りたところで、一台の車が目の前で止まった。故障でも起こしたのか、と思ったがあまりに偶然過ぎる。その横を通り過ぎようとしたが、過ぎることは出来なかった。
「この先はまだあるよ。ふもとまでだったら乗っていくかい?」
一瞬逡巡した。が、ここまで来ると意地だった。徒歩でいくことに。なので、丁重にお断りした。
「そうかい」
と、清清しく納得してくれた。思わず『ありがとうございました』と口から漏れた。感謝の言葉というのは、こうやって自然と口から漏れてくるのが一番自然なんだろうなと気づいた。
それからしばらくは足が軽くなったように思えた。実際、歩く速度が全然違っていた。時折走ったりもしてみた。坂はあっという間に終わった。
また長い、直線の林道だ。たぶんこれが終われば川湯温泉駅へと戻れるだろう。予感がした。だが、身体のほうはやはりついていかなかったのか、だいぶ膝にもダメージがきていた。
足を屈伸させていると、車が隣に止まった。
「大丈夫かい? 足が痛そうだけど…………」
いきなりそんなことを聞かれた。その車は、今しがたすれちがったばかりの車だった。わざわざUターンして戻ってきてくれたらしい。
だけど俺は心配ない、大丈夫だと答えた。駅までなら送っていくよ、とも言われたがそれも丁寧に辞退した。
心配そうな顔をしていたが、俺は申し訳ないながらも歩くことを選ぶ。ここまできたんだから、という気持ちがあったからだ。
少し前でUターンした後、再び山道へと向かってその車は走っていった。すれ違うときに会釈したら、手を振って返してくれた。
実際、そこからの道のりはもうほとんどなかった。直線が終わり、角を曲がると交通量の多い大通りが見えた。国道391号線に戻ってきたのだ。
とにかく俺は駅へと向かった。レストランが駅舎レストランというものしか近くに無かったからだ。そろそろ喉と腹が限界に近い。特に渇きは強烈だった。なぜなら18時間、水一滴さえ口にしていなかったから。腹に至っても12時間以上、まともに食っていない。しかも最後の食事はたったパン一つだ。
駅に到着すると、飲料水と書かれた水道があった。その横に但し書きがあり、この水道は摩周湖の地下水脈と同じ源流から上水道を引いてきたものとなっていた。長寿の水として観光客には有名とのこと。
さっと目を通すと蛇口をひねってひたすら飲んだ。1分くらい飲んでいたかもしれない。喉の渇きが完全に癒えるまで、喉を鳴らして飲みつづけた。
喉が満足すると、駅舎レストラン『ORCHARD GRASS』というところで昼食をとることにした。観光ガイドにも載っていたところで、ビーフシチューが美味いらしい。値段は高かったが、湖畔線制覇の褒美に注文することにした。ついでにコーヒーとデザートも頼んだ。
確かにビーフシチューは美味かった。オススメ、というだけの味だった。が、量としては今の俺の空腹を満たすことが出来ないのが残念なところだった。それはコーヒーとデザートの手作りケーキで充分満たされた。
その後、釧路行きの電車を待つ間に近くの温泉銭湯に行くことにした。入浴料200円なので、かなり安いと思う。昼から入る人も少なく、ほとんど貸しきり状態だった。2泊3日で疲労の溜まった足に、熱めの湯がかなり気持ちいい。
風呂から上がるとまたコーヒーを飲みながら、電車の最終確認をする。明日は06:00釧路発滝川行きに乗らなければならない。また始発で向かうことになる。
ふと目を上げると、周囲の観光マップがあった。結構詳細に書かれた地図で、おおまかな距離が書いてあった。表示されていない部分は、実際にかかった時間と見た標識を思い返してこの湖畔線の大まかな距離を出してみる。
…………だいたい60km、という結論が出てしまった。30~40kmと思っていたが、60kmも歩いていたのか。10kgくらいの荷物を担いで。歩くのがつらくなるくらい、足が壊れるわけだ。
銭湯から駅に戻ると、だいたい14時半だった。あと二時間近く待たなければならない。ちょっとその辺りを散策できるくらいの時間だが、さすがにこれ以上歩く気にはなれなかった。
北海道の、とくにこんな3時間に1本くらいの小さな駅だと向こう側のホームに渡るための陸橋はない。電車が来ないことを確認して、ホームから降りて線路を渡るのだ。なので電車がくるまで線路で腰掛けて待っていた。
電車に乗るときになって、隣の人が話し掛けてきた。1時間くらい前から同じように電車を待っていた人だった。どうやら同じ電車だったらしい。
その人はだいたい30歳後半くらいだったと思う。正確な年齢は聞いていない。名前さえ聞かなかった。俺も言わなかった。だけど、それでも同じく旅に身をやつすもの同士、何か通ずるものを感じた。名前や歳なんか、聞く必要はなかった。語り合うのにはそれで充分だった。
電車の中でも始終話していた。はじめは俺が経験してきた2泊3日の旅についてばかり話していた。その人は徒歩で歩き回ったことにかなり驚いていたようだった。……そりゃ、誰だって驚くか。
そのうちその人の旅の話も聞いた。北海道のJRフリー切符を使って札幌を拠点に周遊していたらしい。札幌発の夜行特急に乗り込んで、朝一で目的地に到着。その日の最後の夜行特急でまた別の場所か札幌に戻るのがその人の回り方だった。そうすれば宿代は要らないし、充分楽しめるだろう?と。18切符は特急に乗れないから、そんな方法思いつきもしなかった。でも、確かにそっちのほうが遥かにいろんなところを回れる。
その人は2週間ほど北海道を旅行しており、ほぼ全域を回ったようだった。釧路は二度目だといっていた。5月のゴールデンウィークにも来たようだ。そのときの『霧の街』釧路についても聞いた。
釧路駅に着いても話は途切れなかった。ホームを出るとき、夕食に誘われた。釧路ラーメンの美味い店がある、と聞いて行きたくなった。ホテルに荷物を置いてくるからちょっと待っていて、としばらく釧路駅で待つことになった。
しばらくしてその人が来た。連れ立って釧路の街を歩き始めた。ラーメン屋に着くまでも、話のネタに尽きることは無かった。
ラーメン屋がもしかしたら休みかもしれない、そのときはそのときですよ。などと冗談めかしていいながら、ラーメン屋に着いた。店はしっかり開いていた。
メニューを見て悩む。値段と腹の調子をどこで折り合いつけるか思案していた。するとその人は苦笑して、「飯くらい奢るさ」といった。
驚いた。知り合って数時間の人にそこまでするものなのだろうか。だがその人が言うには、『旅っていうのは人の縁を大切にしなくちゃならん』。
実際、その人が札幌にいるときも俺のような一人旅をしている人と夕食を一緒に食べたことがあったらしい。俺は学生で、その人は社会人で稼ぐ身分にあるんだから、と。
俺はその塩チャーシューメンと餃子をありがたく頂いた。量も多く、味もよかった。話も終わることなく、続いた。
ラーメン屋を出て、釧路の街を少し歩いた。有名な幣舞橋から釧路川を見て、話しつづけた。そのうちコンビニを探して歩いたが、なかったので駅のキオスクに行くことにした。
キオスクで明日の朝食を買い、駅のミスタードーナツでさらにコーヒーを頂いた。曰く、『これも飯のうち』だそうだ。話は22時を過ぎても収まらなかった。
結局、23時近くになってその人を見送ることになった。名前も知らない、歳も知らない、だけど旅を知り合った人。ありがとう。

「…………………………」
「…………なんだか『ちょっといい話』っぽくない?」
「旅は出会いと別れ、ですねぇ……」
「管理人的にもこの日は相当思い出深いものがあったらしいよ。徒歩の達成感と、人の優しさに触れたというか」
「旅の目的は『独りになること』だったのでは?」
「独りになったから、誰かといるのが楽しくなるってものよ」
「それもそうですね。まぁ…………独りになること、っていうのも建前に過ぎないと思うんですけど」
「結局管理人自身も目的がはっきりしてなかったんじゃないの?」
「その可能性のほうが高いかもしれませんねぇ。なんとなく漠然と、という感じで」
「漠然と旅する、ってやることが凄いんだか凄くないんだか…………」
「でもこーゆー経験は貴重だと思いますよ」

9月6日 終わりの刻。

北海道も最後の朝。06:00釧路発滝川行きの始発列車で苫小牧を目指す。
実はまた滝川周りで行くことを覚悟していたのだが、昨日の『あの人』に、新得~新夕張間の特急は18切符だけでも乗れるということを教えてもらいました。
蟹田~木古内間は知っていたのに、新得~新夕張間は知らなかったというのはいかがなものだろうか。ちゃんと18切符の案内にも書いてあったし。
おかげで予定より1時間ばかり苫小牧に早く着けそうだ。苫小牧東港から出るフェリーで、たぶんバスが出ていると思うがバス停が分からないのだ。早く着くに越したことは無い。
新得で降りて特急を待つ。この新得で、もしかしたら『あの人』が通過するかもしれなかった。昨日の別れ際にそう聞いた。『明日は天気が悪いらしいので、雨が降れば札幌に戻る』のだと。
その日は雨だった。釧路からずっと雨で、新得でも少しぱらついていた。その人が乗っているかもしれないという特急を、待合室で待っていた。
特急スーパーおおぞら4号。うろ覚えの記憶ではグリーン席1Aだったような気がする。あの人が、昨晩にみどりの窓口で特急券を購入していた。たぶん今日のはずだった。
果たして、特急がホームに入ってきた。グリーン席ならば一番前か、もしくは後ろ。目を凝らしてそのときを待っていた。
いた。見えた。…………と、思う。逆光になっていて車内の様子がよく分からなかった。しかも一番前がグリーン席だったから、その瞬間はまだそれほど速度が落ちていなかった。
でも分かった。席を立って、窓際を見つめている人が見えた。一番前の、一番手前。グリーン席1Aならば、ありうる席。
そして特急が駅を出て行く。俺は座ったまま、ただその様子を見送った。
釧路が別れか、新得が別れか。それは分からない。
その後駅を出て駅前の定食屋に入った。いまいち食べる気がしなかったので、また豚丼を頼んだ。釧路のそれより美味かった。
新得から新夕張。乗り換えて南千歳。最後の地、苫小牧へとたどり着いた。
フェリー代を払うために郵便貯金を下ろした。苫小牧駅と繋がっているダイエーのレストランは、安くて美味いものがあると聞いたので早めの夕食をそのレストランでとった。
あるレストランに入り、北海丼定食を頼んでみた。850円で、北海丼というイクラ・サケ・マグロなどの海産物がのった丼、てんぷら盛り合わせ、刺身、味噌汁がいただけた。確かにこの量でこの値段ならば安い。
腹が一杯になると、駅のすぐ隣にあるバスターミナルで苫小牧東港行きのバスを探す。苫小牧西港は割と近いのだが、東港は位置が分からなかった。ターミナルを彷徨って目的のバス停を探しあてた。
18:00発なので、余裕があった。またダイエーで本を購入した。結局、旅の間に15冊も文庫を買っていた。…………俺は北海道に本を読みに行ったのだろうか。
定刻にバスに乗り込み、東港へと向かう。本を読みながら外の景色を見ていたのであまり正確ではないが、道央自動車道を通ったらしい。道理で時間がかかるわけだ。駅から歩いていける距離でもない。
フェリーに乗船し、2等客室へと向かう。部活で乗船したときのフェリーはかなり人数がいたのだが、その客室は4名ほどしか使わなかった。16人も入れる部屋で、である。
しばらくしたら船が港を離れたというアナウンスが入った。全くといっていいほど揺れを感じなかったのは、フェリーの大きさによるものか単なる疲れか。
夕食用に売店で買った珍味と炭酸飲料を貪り、本を読んだ。消灯前にも眠くなったので、さっと寝る準備を整えて寝た。
7日は一日中船の中だ。明後日の早朝、敦賀に到着する。北海道の一人旅は、終わったのだ。

「…………えと、これで終わりですか?」
「まぁ、あとフェリー一日分や8日の高校の友達との会合もあったんだけど、フェリーは大して変化に富むものでもなかったし友達との会合はネットに載せるようなことでもないと思う」
「それは、確かにそうかもしれませんね……。これでようやく終わりですかぁ」
「随分と長かったよねぇ。書き出すのに3日もかかっちゃたし。(実話)」
「あはは、まぁ一週間の旅だったらこれでもマシなほうだと思いますよ」
「管理人の記憶がイマイチだからねぇ。その日その日を書きとめていけば、もっと詳細に書けるところもあったはず」
「それを分かっていてしないのが」
「アイツの性格なんだよねぇ…………」
「それではそろそろ、執筆も止めますか」
「そうだね。あ、最後に管理人の日本一周旅の行程を。所在地や実家の位置が多少分かっちゃうけど、いいよね」
「ではでは皆様」
「ごきげんよぅ~」

ヘヴィだぜ……

* 白地図MapMap 5.0 編集

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