Phantasy Garden

ただぼけっと突っ立っているのも何なのだが、それ以外にすることもなく、そうするほか思いつきもしなかったのは事実だった。むしろ考えるのさえ拒否していたのかもしれない。理由は、面倒だったからだ。

ハンターズ達には馴染み深い、街の一角にあるチェックルーム前広場。そこに一人の若い男が立っていた。群青の髪に青い瞳、一目でこの若い男がハンターであるとわかる専用のスーツに至るまで、入れ込んだくらいに真っ青な装備。ヴィードだった。通り名なのか本名なのか、家名を聞いたことがあるものはいないのでその真偽は分からない。髪の色や瞳の色は先天的なものなので仕方がないが服まで統一する必要はないだろうと仲間たちは笑うが、本人はあまり気にしていないようだ。

ただし今はその青色に陰りが見えるほどに、なにか不穏な気配を纏っているのが遠めにでも分かるほどである。目は堅く閉ざしてはいるものの、その眉間によっているしわから判断すると相当の苛立ちを押し隠しているように見える。

「……………………」

度々、何かを言おうとしているのかわずかに唇を動かすが、すぐにへの字型に引き結んで押し黙っていた。

実のところ――人を待っているのである。

苛立ちの原因ともなった人物であった。先ほどそちらの端末にメールを送ったのだが、まだ返事はきていない。メールを出してからはおよそ1時間。もういい加減返信があってもいいころだったが。

――ピッ

軽い電子音とともに、腰にぶら下げた端末が起動してスタンバイ状態から回復するのがわかった。首を長くして待っていた――というほど上等なものでもないが、慣れた手つきで端末を手にとり、システムを確認する。案の定、ようやく返信のメールがきていた。声には出さずに目だけでそのメールの文を追う。

「なんでそんな命令口調なわけ!? もうちょっと丁寧に書かないと頼み事も何もないわよ? ま、ヒマだったから行ってもいいけどさ……」

そういえば結構投げやりに書いたかもしれない。冷静さを欠いていたのは、まぁ認めなければならないだろう。しかしヴィードは特に感動も持たず、さっさと端末のシステムをスタンバイ状態にするとまた元の姿勢に戻ってしまった。

それからしばらくして、メールの差出人、レインが到着した。ヴィードと似た青髪――レインの髪は群青というより真っ青といったほうがあっていた――にすらっとした体型、その耳が特徴的なニューマンでありハンターであるハニュエール。年齢は14ー15歳と聞いていた。成長が早いことの多いニューマンには珍しいことだが、レインはヒューマンの年齢相当の外見をもつ。たしかベスもそうだったか、とヴィードは先日同じ依頼を受けることになったフォニュエールを思い出していた。レインは、こちらの雰囲気を知ってか知らずか、メールの時ほど不機嫌ではないようである。

「いったいなんなのよ、ヴィード? 来い、だなんてまたずいぶんね」

レインの話し振りからすると、どうやらまだこちらの苛立ちの真相は知らないようだった。ヴィードは待ちわびた人物を前に、いざ話すとなると意外にも冷静になってしまうんだな、と他人事のように思いながら、固く閉ざしていた口を開く。

「……遅かったな。メールを出してから小一時間にはなると思うんだが…………」
「あー、ちょっと端末外してたからね。ギルドのほうから依頼を受けてやってたんだけど、汗かいちゃったから」
「ふむ、まぁそれはいいんだ。話というのはミシェールのことだが……」

と、そこで奇妙な視線を感じてひょいと顔を上げてみると、げげっという感じがまさにピッタリくるような顔でレインがこちらを見ていた。

「……なんだその顔は……?」
「え、え、だって……!」

冷や汗を出すほど意外なものだったか?とヴィードは自問してみたが、いまいち自分では要領を得た答えが出なかった。考えても仕方がないので、視線でレインの次の言葉を促す。しばらく震えたまま何もいわなかったレインだが、意を決したように頭を振りつつ、

「まさか……ヴィードがミシェールを好きだったなんて!!!」

地面か頭にひびが入ったのではないかと思えるほどの音とともに、盛大に地面に突っ伏す。もちろんヴィードが。

「アホかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 誰がいつどこでンなこと言った!!???」

突っ伏したのも一瞬のこと、烈火のごとき素早さで跳ね起きて力の限り否定した。しかしレインはまだ信じられないという表情で、

「今自分で言ったじゃん! ミシェールについてどう思うって…………!」
「話が飛躍しすぎじゃボケェェェ!!」
「その慌てぶりがさらに怪しいわ!!!」
「あぁもう、このバカは!!」

話ごと投げたしたくなるほど疲労感が襲ってきたが、そこはなんとかプロのハンターズの自制心が押しとどめてくれたようだった。ぜぃぜぃ、と荒い息をつきながら、ヴィードが声を絞って言葉をつむぐ。

「……ったく何を突然言い出すかと思えば……言っとくが、今から話すことはまったくもってそれとは関係ないからな」
「……にしてはすごい動揺」
「か・ん・け・い・な・い・か・ら・な!」
「はいはい………………」

レインは肩をすくめて呆れたようにそう呟いた。ヴィードも気息を整え、少しだけ忘れかけていた本題を記憶の底から呼び覚ます。

「一昨日の話だが、ミシェールがラグオルで倒れたってのを知ってるか?」
「あー、知ってるわよ。メディカルセンターのほうが騒がしいとか思ったら、アルがいるんだもん。事情はアルがいなくなってから聞いたけど…………疲労による頭痛で倒れたとか。生命に関わるようなことじゃないようだったから、よかったよ」
「それだ。本当はミシェールが倒れた原因は疲労なんかじゃない。ほかの理由があってのことだ……」

それから遡って、およそ二日前の話。つまりミシェールの倒れた当日にあたる。ヴィードはラグオルの調査活動のため、セントラルドーム付近に広がる鬱蒼とした森林地帯――この森はテラフォーミングを利用して作られた人工の森であったのだが――にいた。何度も訪れている場所であるため、その全容とおおまかな地図程度は頭に入っている。苦もなく調査活動に従事するヴィードと、そのヴィードの後ろについて歩く華奢といえるほど小柄な少女、ミシェールもヴィードと同じく調査のためにラグオルへと降りていた。

ヴィードは、ミシェールについてアルデバランの姪だと聞いていたが、実のところあまり面識はない。何度かアルと一緒にいる姿を見かけたり、アルやその周囲の知人からミシェールのことを耳にはしていたものの、直接話をしたりしたことはなかった。今回も以前のベスと同じく、受けた依頼のパートナーが偶然そうであった、というものだった。

つくづく人の縁とは妙なものである、というのは言い得て妙な気もし、またなんとなくそれが正しいとも思えた。そういえば、最近はミシェールとユーリィが一緒にいるのもよく見かけるな――この世界の狭さに改めて気づき、後ろにいる少女に気づかれないように苦笑する。どちらかといえば、内気な少女――あくまでヴィードの観点からであるが――が何故常に命が危険に晒されるようなハンター稼業を選んだのかは本人しかわからないことである。

それでもヴィードは不思議に思わずにはいられなかった。なぜならこの娘はまったく死に対する抵抗力がない。それは、いつでも死を受け入れてしまうようなある意味達観した雰囲気を持つということと、今目の前で繰り広げられるラグオルの原生生物の死さえ受け入れられないという二つの皮肉だったが。ヴィード自身も罪のない生物を殺すことに抵抗はある。しかも彼らの視点、一般的に考えられている道徳の観点からすれば、非はこちらにあるのだ。しかし、それでもヴィードは目の前に襲い来るものを排除せざるを得ない。いや、むしろ彼らを屠ることが彼らにとっての幸せなのだという一種の強迫観念さえ感じる。そう感じさせるのは、彼らの異常な生態であった。果たして、これは生物として生きているのだろうか。完全に自我を失った瞳、過剰のまでの敵対反応、そして痛みも、疲れも、闘争本能以外のすべてを感じなくなってしまったかのような身体。

殺らなければ殺られる。しかし、ミシェールはそういった超常的な極限下にあっても拒み続けている。ただそういったことに気づいてないというわけでもなさそうだった。なにがあっても、どんな正当な理由でも、誰かが、何かが傷ついて失われていくことに対する拒絶。それは俗に言えば聖者じみた精神だったが、ヴィードにはそれとは別の何かがあると感じられた。他人を慈しみ、それを守ろうとする以外の、他の何かが。そしてまた、その姿勢を貫く限り、このハンター稼業には向かないということも。

「ふぅ………………」

森の一角。幾重にも襲い掛かってくる凶暴化した原生生物の群れをようやく撃退し、ヴィードは一息ついた。頭上から降り注ぐ陽光がヴィードの体を照りつける。日没までの時間はまだありそうだ。原生生物の亡骸の中で一息入れるのも何か不気味なものを感じるが、それとなくミシェールの護衛もこなすヴィードの疲労も想像を絶するものである。

「なにか…………原生生物たちの能力が強くなっていませんか?」

こういうときもミシェールは『エネミー』とはいわない。ヴィードは手にした剣――フォトンが一切使用されてない古代の剣である――を地に突き刺し、

「そうか? 大して変わりはねぇんじゃねぇかな」
「そうですか…………」

そう答えたものの、ヴィードは内心舌を巻いていた。優れた戦闘能力も、また豊富な経験もないはずのミシェールが僅かなエネミーの力量の差に気づいたのである。それらもなしに、そういう芸当をするには少なくとも天才的な勘か才能がいるのだが、そんな輩は大抵その天賦の才を活かして成長させていく。ミシェールがその天賦の才を秘めているとすれば、しかしまったく皮肉なことであった。もしかしたら、ミシェールの気質もそんなところに由来しているかもしれない。

「…………」

息を漏らさず、僅かに口端を吊り上げる。

「それは考えすぎだよな……」
「え……?」

こちらの独り言が聞こえたのか、俯いていた顔をはっとあげ、ミシェールがこちらに視線を向けてくる。ヴィードはそれに気づかないふりをして、剣を引き抜いてゆっくりと伸びをしながら歩を進めた。今回の依頼にも特に時間の制限はない。およそギルドで考えられる常識の範疇であれば、それほど急ぐほどのものでもなかった。次の区画での襲撃に備えるヴィードが、風に乗ってこちらの鼻腔をくすぐるような芳香を感じたのはそのときだった。

「…………?」

気のせいか、とも思えるほどの微小な芳香であったが、ヴィードの嗅覚はなかなかどうして鋭敏である。芳香の元をたどって目を移し――実際のところ殆どそれは勘ではあったが――ミシェールのところで顔を止める。

「……? どうかしました?」

突然こちらが振り向いたのに驚いたのだろう。微かに声のトーンが高くなっているのを聞きながら、ヴィードはミシェールの顔色を窺った。

「ミシェール、お前ちょっと顔が上気してないか?」
「え?」

不意のことを言われてか、ミシェールが戸惑ったように辺りへと視線を這わせる。数瞬ヴィードはミシェールの顔色を窺っていたが、緊張のためだろう、みるみるうちに顔が完全に上気してしまい、まったく判別ができなくなってしまった。

「あぁ、すまねぇ。多分俺の勘違いだ」
「あ……はぁ……」

どことなく腑に落ちない、という調子でミシェール。だがヴィードは言葉とは裏腹に、芳香の元となる物質に思いをめぐらせていた。

(――僅かしか感じ取れなかったが、あの甘酸っぱい香りは以前に…………?)

記憶の糸をたどってどこかで嗅いだような気がする芳香の元に思案していたが、

「ヴィードさん! 後ろ!」

ミシェールの声に顔をあげ、反射的に後ろを薙ぎ払っていた。そこには群れをなしてこちらへと襲い掛かってきたゴブーマとブーマがいた。

「チィッ!!」

今のこの装備ではソードやパルチザンのように複数攻撃ができないために、数で押されると圧倒的に不利なのは明らかである。もともとヴィード自身は、今回の調査ではあくまで調査が主であり、エネミーの殲滅を考慮していなかった。エネミーと遭遇してもこちらが不利に陥らないよう、奇襲もしくはもっと幅の狭い道などに誘い込んで相手をするつもりだったのだ。今のこの区画では狭い道どころか囲まれてしまうほどに広い。迂闊、そうとしかいいようがない失態だった。

「はぁぁっっっ!!」

振り下ろされたブーマの腕の軌道を見切って紙一重で避け、逆袈裟斬りのもとに斬り伏す。そのままステップを踏んで大上段からの唐竹割りにつなぎ、最後は右足を踏み込んでの水平薙ぎへともっていく。一つの動作で確実に一匹を屠り、移動さえも含んだ舞のような動きで敵を翻弄する。

「すぐに終わらせてやる!!」

ワンカウントで辺りに視線をめぐらせた瞬間に、ミシェールの姿が視界の隅に映る。見切りをつけたのか、何体かはこちらへの追撃を諦めてミシェールへと向かっていったのだ。

「ギゾンデ!」

負けじと、ミシェールの指から放たれた雷光が辺りのブーマたちを襲っていく。しかしブーマたちは僅かに仰け反っただけで、その命を奪うには程遠いものだった。

「あぅ……!」

後退りをして間合いを取ろうとしたミシェールが草に足を取られ、地に腰を落としてしまう。立ち上がる間もなくあっという間に間合いを詰められ、テクニックの詠唱もできないところまで追い詰められてしまっていた。そして申し合わせたかのようにブーマたちが腕を振り上げ――きりもみ回転をしながら頭上を越えて吹き飛んでいく。ミシェールが驚愕に目を見開くと、鬼神のごとき表情でブーマたちを吹き飛ばしていくヴィードがいた。ヴィードのもつ古代の剣はブレードが劣化してなまくらになっているのか、斬るというよりむしろ叩くという手ごたえであった。

「おおおおぉぉぉぉぉっっっっ!!!」

獣の咆哮のような叫び声とともに、唸りを上げて剣がブーマを呑み込む。そうとしか形容しようがない動きだった。そのままブーマは空中でねじれながら、鬱蒼と茂った林の中へと沈んだ。ヴィードはミシェールの近くにいたブーマたちを屠ったことを確認すると、遠巻きに残っていたものを次々と弾き飛ばしていく。

ミシェールはかなり長い時間を過ごしながら――実際は一分足らずであったが――ヴィードが完全にブーマたちを殲滅させるのを見届けていた。最後の一匹を葬り、ヴィードが剣の切っ先を下げる。

「大丈夫か、ミシェール」
「は、はい……」
「無理はするな。足首腫れてるんじゃねぇのか」
「あ…………」

ヴィードは目ざとくミシェールの怪我を見抜いていた。間違いなく、さっき草に足を取られて倒れたときにできてしまったものだろう。申し訳なさそうな顔をしているミシェールに、ヴィードは腰を屈めてその足首の容態を診る。

「……骨折はしてないようだから冷やしておけば腫れもひくだろ。メイト飲んでしばらく休憩しとけ。これくらいの捻挫ならレスタより効くはずだ」
「……はい」

「近くに小川があったな……。そっちいってちょっと水を汲んでくるよ」
「すみません……」
「気にするな。それよりエネミーが出ないかどうか、注意していてくれよ」

そういって立ち上がると、おぼろげな記憶から小川の位置を探り出す。この森林地帯はさほど広くはない。適当に歩いていっても小川のせせらぎは聞こえてくるだろう。おおよその目算をつけて歩き出したヴィードだったが、なぜか強烈な不安を拭い去ることができなかった。

ヴィードが立ち去ったあと、ミシェールは言われたとおりに、携帯していたアイテムボックスからディメイトを取り出した。メイトには三種類あり、モノメイト・ディメイト・トリメイトと分類されている。後者のほうが効果は大きい。誰かがいるわけでもないが――誰にも気づかれないように小さく溜息をついて肩を落とす。

「あーぁ……足手まといって思われちゃったかなぁ……」

情けないと自覚していた。ハンターズが草に足を取られ、こけて捻挫したとあっては面目がないだろう。

戦闘はそれほど得意ではない――拒否する心の自覚はあまり感じていなかった――が叔父であるアルデバランの、その友人に失態を見せてしまったというのがミシェールにとって気恥ずかしいものであった。ハンターズレベルではレベル100を超えるほどの腕らしい。名前がちょっといいづらいなと思ったが、それに不思議と違和感はなかった。さきほどの戦闘で見せた鬼神のような強さと表情は、正直なところ恐怖心を植え付けられた。だがそのレベルに納得はいくものである。しかし、その割にあまり噂を聞かないのは謎であった。レベル100を超えるハンターならば、その活躍や畏怖から自然と噂はきく。ヴィードというハンターにはそういった類の噂がまったくない。まるで突然ふらりと現れたかのように。

ミシェールは寝ぼけた頭を起こすかのように首を軽く左右に振って、

「何考えてるんだろう、私……」

そんなことあるわけがない。ハンターズの世界がいかに狭いといえど、知らない噂・聞いたことのない話などいくらでもある。ただ単に自分が噂を耳にしなかっただけというほうが現実的だし、むやみに人を疑っていてはいけないと、ミシェールは納得した。そこで考えを切り上げて、ディメイトの蓋を開ける。今は捻挫を早く治療することが先決なのだ。

(――だけどもし………………)

なぜだか妙に気になった。ヴィードとは今まで一度も話したことはなかったが、叔父を通じて何度かその姿を見かけたことはある。その度に、何か奇妙な感覚に襲われていた。そう、さきほどのあの戦いの最中のような――。

ぼんやりとそんなことを考えながら、ディメイトの飲み口を口につける。

「…………!?」

一気に飲もうとしてディメイトが気管支に入ってしまったらしい。けほけほ、と激しく咳をしながら握ったディメイトを見る。むせたのは考え事のせいだけではない。なにか変な味が――?

その瞬間、視界がぐにゃりと歪む。瞬く間のうちに、続いてやってきたひどい頭痛と倦怠感に襲われた。そしてミシェールは抵抗もできずに白濁していく意識の中へと身を委ねていった。

「ったく……汲むものをもっていかなかったのは不覚だったなぁ……」

小川に水を汲みに行った帰り。ヴィードは水を入れる容器のことを失念していたために、アイテムボックスを空にしてそこに水を汲む羽目になっていた。迂闊を通り越して、もう情けない話である。水を汲みにいくのに、容器を持っていかないバカがいったいどこにいるのだ? 肩を落としてアイテムボックスを横目に見る。当然のことながらボックスの中に入っていたアイテムも、そこで使うか捨てざるを得なかった。ちなみにボックスとは名ばかりのもので、ナイロンのような柔らかい袋になっている。袋の中には移動途中にアイテムの位置が狂わないようにいくつか仕切りがあるが、結構密閉性に優れており、口紐をしっかり縛るとなかなか液体の移動にも便利だった。実際、アイテムボックスの中に水を入れるという行為は初めて試みたのだが。

「早く戻らんとな。まだ原生生物がいる可能性もないとはいいきれん」

自然とその足も速くなっていた。一緒に連れて歩くわけにはいかなかったので仕方なく置いてきたのだが、やはりメイトだけで回復を待っていたほうが安全だっただろうか?

「いや……」

ヴィードは少しの躊躇はあったが、その考えを否定した。応急処置として捻挫をした患部を冷やさないと、そのままでは痛みで依頼に従事できないだろう。かといって、調査の折り返しにもなってないのに依頼を放棄させるのは忍びなかった。彼女にだってハンターズとしての誇りはあるはずだし、こちらの言い分でそれを踏みにじってしまっては寝覚めが悪い。少なくともあの区域にはエネミー反応はなかったはずだ。いくら増殖が早いとはいえ、数分でその数を増やせるとは思えない。

「しかし…………」

何度目かの否定を口にする。一抹の不安が心に染み付いて離れないのだ。心配すべきことはないというのに、なぜこうも嫌な予感がするのだろうか? いわゆる『虫の知らせ』というものだが、ヴィードの勘はニューマンに追随するほど鋭い時がある。そういう場合はたいていがこういう場面であった。経験上、としかいいようがない勘であったが。そのころにはヴィードは完全に走り始めていた。どす黒い、心臓を鷲掴みにされているような感覚がなかなか抜け落ちない。むしろミシェールのところへ戻ろうとすればするほど、その感触が増してきている。

やがてミシェールのいた場所が視界に入ってきた。だが、そこが鮮明に映し出されるに連れてヴィードの背筋に悪寒が走る。ミシェールがいない。ついさっきまでこのあたりに座っていたはずなのに、影も形もなくなっていた。

「くそ…………!」

思わず地面を蹴りつける。何が起きたかは分からないが、怪我をした足で動き回るというのはどう考えても普通の事態ではない。辺りには先ほどの原生生物のものであろう血痕がいくつか残っているが、その辺りに人の血痕が見られないのが唯一の救いだった。少なくとも、ここではエネミーがミシェールに襲いかかってきたということは考えにくい。だが、ほかの場所ではその保証は一切ない。捻挫した足でまともに戦えるはずがない。囲まれてしまえばあっという間に命を奪われてしまうだろう。慌てて周囲へと走り出そうとしたヴィードだったが、突然足を止めて顎に手を当てた。

「まてよ…………? エネミーが襲ってきてなかったのだったら、なぜミシェールはこの場所から動いたんだ? 足を捻挫していることは分かっているはずだし、歩こうとしても激痛で立つことも難しいはずだ……。何の理由で、どうやって…………?」

ふと思いついたその考えが、いつまで経っても要領を得ないことだと分かったのはその数秒後だった。ヴィードは腰を屈め、辺りに視線を巡らせる。なにか手がかりになるものが落ちてないかと期待したのだが……。

「そう甘くはねぇ……か?」

しかし闇雲に走り回ってもミシェールを見つけられるかは判断の難しいところだ。最悪、最も考えたくない瞬間に間に合わないかもしれない。絶望感がヴィードを包み始めたとき、ふと先ほど嗅いだあの匂いがまた漂ってきていることに気づいた。

「これは…………」

しかもその匂いはさきほどよりいっそう強いものとなっている。ヴィードはその出所を探るため、辺りに顔を動かしてみると、近くの茂みの中からその匂いが発せられているようだということが分かった。期待と不安の両方を抱えながら、そっとその茂みをかきわけてみる。

「……………………ディメイト?」

そこにあったのは蓋のなくなったディメイトだった。ラベルにそう『ディメイト』と刻印されているからまず間違いはないだろう。手で仰いでそのディメイトの匂いを嗅ぎ取って、匂いの正体が何であるのかある程度分かった。しかし、なぜミシェールがコレをもっているのかという理由は不明だったが。それと同時に、ヴィードは以前にもコレとまったく同質の匂いを嗅いだことがあるという事実を思い出した。

「どこだったかな……たしかアルと……」

刹那、近くで大きな爆炎と少女の悲鳴が上がる。距離にして、数十メートルといった近さだ。そこから推測するまでもなく、その少女の悲鳴は間違いなくミシェールのものだった。

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